周防鋳銭司(すおうのじゅせんし)山口市にある国史跡、古代テクノポリスで脚光浴びるか

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当時の面影は乏しくなったが、発掘には山口大や行政、住民がスクラムを組む。
維新でも大内文化でもない新たな魅力が芽生えるきっかけにならないか。
ハイテクでなくても、夢は膨らむ。

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ハイテク研究や産業を生かしたまちずくりといえば分かりやすいだろうか。
国が指定して開発が進められたテクノポリス構想のことだ。
広島大を柱に産・学・行政がスクラムを組んだ広島市を思い浮かべる人もいるだろう。

「古代テクノポリス」と、地元では呼ばれているらしい。
JR新山口駅の東約5㌔、山口市にある国史跡の周防鋳銭司(すおうのじゅせんし)跡である。
かつては「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」などのコイン鋳造や土器作りが盛んだった。
工場があり、高い技術を持つ技師や監督する官史が集まっていたに違いないからだ。

平安時代には国家の最高機密である貨幣造りを一手に担っていた時期も。
8種類もの銅銭を鋳造していたという。
なぜこの地で、最先端技術が育まれたのか。
今夏にも再開される、およそ半世紀ぶりの発掘調査が待ち遠しい。

これまで日の目を見た区域は全体の5%程度。
掘り進めば、古代造幣の全体像に近づく可能性もあろう。
近くにある銅山との縁が鮮明になるかもしれない。


コトバンク引用
山口県山口市鋳銭司(すぜんじ)にある貨幣製造所。鋳銭司とは、古代における官営の銅銭製造所である。
周防鋳銭司は全国にある鋳銭司の中でも最も長期間鋳造が行われ、平安時代の820年代から950年(天暦4)ごろにかけては唯一の貨幣鋳造所であった。
ここでは、富寿神宝(ふじゅしんぽう)から乾元大宝(けんげんたいほう)までの8種類を鋳造したと考えられる。
本格的な調査が開始されたのは1966年(昭和41)で、その後1971年(昭和46)から翌年にかけても行われ、倉庫群・井戸・炉の跡や工房と推定される遺構などとともに、大量の鞴口(ふいごぐち)・坩堝(るつぼ)・土器・木器・木簡・銅銭・古瓦片などが発見され、鋳銭司跡は平安初期のものであることが確認された。
古代貨幣史上、また古代国家の経済のしくみを知るうえで重要であるとして、1973年(昭和48)に国の史跡に指定された。山口県内には貨幣鋳造所跡として、国史跡の長門鋳銭所跡(下関市)もある。
現在は跡地に標識が立っているのみであるが、遺物は鋳銭司郷土館に保管・展示されている。JR山陽本線四辻駅から徒歩約12分。

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