山口県萩市は夏ミカン発祥の地、幾多の変遷を経て今に残る

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夏ミカンは夏ダイダイ(代々)とも呼ばれる。
開花と実を収穫する時季が重なり、代々実が続く縁起物だからでもある。
確かに小幡の試みの20年後、萩に福をもたらした。
一大産業に育って明治以降の暮らしを潤した。

今は、昭和40年代に1万5千トンあった生産量が200トンにまで落ち込んだ。
それでも、小幡をはじめ先人が注いだ情熱、守ってきた景観はこれからも代々引き継がれよう。

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初夏の萩を今歩いてみると気が付くだろう。
町を包む爽やかな香りに。山口県の花、夏ミカンが白い花を咲かせた。
収穫期の果実と花が同居する光景も、この時季ならでは。
この果樹のある景観は、城下町萩の象徴ともされる。

萩では開花宣言が三つ出される。
元々あった春のソメイヨシノに、冬の笠山ツバキ群生林のヤブツバキ。
昨年になって夏ミカンが加わった。
ことしは明治初期に栽培を推奨した旧藩士小幡高政(おばた・たかまさ)の生誕200年に当たる。

困窮した士族を救済する試みから、夏ミカンの栽培は始まった。
萩の乱が起きたころである。
発祥の地で開花基準木があるかんきつ公園を訪れると、石碑には「疑いの目で見たり、あざ笑ったりされた」と当初の小幡の苦労が刻まれていた。



夏みかんの始まり

夏みかんの最初の木は、長門市青海島の大日比(オオヒビ)という所にあります。
今からおよそ300年前に大日比の海岸に流れ着いた果実の種を、西本チョウが蒔いて育てたのが始まりとされています。(この原木は昭和2年に国の「史跡および天然記念物」に指定されています。)
実がなるようになると、その実を宇樹橘(ウジュキツ)、ばけもの、ばけだいだいなどと呼んでいたようです。

萩には、およそ200年前に楢崎十郎兵衛(江向)が大日比の知人から数個の実を送られ種を蒔いたという記録や、熊谷家(今魚店)で料理に使われていた記録が残っています。
1833年に杉彦右衛門(江向)が、大日比から持ち帰った2本の苗のうちの1本を、児玉惣兵衛(堀内)にわけました。
1848年児玉家の木に実がなり、このことから児玉蜜柑と呼ばれ、収穫期が分からないためユズの代わりや観賞用としていたようです。

その後、児玉の子、正介がたまたま夏に食べた実が美味しかったので、13代藩主毛利敬親公に献上したことから、御前九年母(ゴゼンクネンボ)や夏九年母(ナツクネンボ)と呼ばれるようになりました。
夏みかんは江戸時代の終わり頃には、萩の武士や大きな商人の家などに植えられていたそうです。
しかし、売ってお金を儲けるためではなく、自家消費のためだったようです。
吉田松陰の松下村塾の周りにも夏みかんが植えられていたことが古い図面に記されていることから、ひょっとしたら松陰先生も夏みかんを食べていたかもしれません。

夏みかんの本格栽培の始まり

夏みかんの栽培が広まって、それを売ってお金を儲けるようになるのは、明治時代のことで、小幡高政という人が初めて夏みかんの栽培を広めました。
小幡高政は明治維新後、小倉県(現在:福岡県)の権令(現在:県知事)となりましたが、明治9年に萩に帰り、平安古に住みました。
この頃、藩からの禄を失い困窮した生活を送る武士を救うため、「耐久社」いう会社をつくり、夏みかんの苗木を武士に配りました。

およそ10年後には、夏みかんの木は萩の空き地を埋め尽くすまで育ち、夏みかんは萩の特産物となり、山口県内のみならず北九州・広島・大阪、さらに東京へも出荷されるようになりました。
小幡高政の住んでいた家は、その後、総理大臣になった田中義一の別邸になり、平成14年に修復され、周辺の夏みかん畑をかんきつ公園として整備しました。
ここには小幡高政が、この場所で夏みかんの栽培を始めたことを後世に伝えるために、明治23年に建てた石碑があります。
この石碑には次のようなことが記されています。
「夏みかんの畠は、明治9年にこの場所で初めて開かれました。その後、木が増えて14年後の今ではこの畠の夏みかんの木は500本余りになりました。
最初は私が率先して、夏みかんの栽培を広めました。
その当時、萩で夏みかんを作るものはほとんどいませんでした。
人は私が夏みかんを植えるのを疑いの目で見たり、あざ笑ったりしていました。
しかし、今日、夏みかんの栽培が盛んになるにつれて、疑いの目で見たりあざ笑っていた人々も、少しの空き地があれば、みんな夏みかんを植えるようになりました。
こうして夏みかんは萩の名産となり、全国の多くの人々に大変好まれ、評判の果実となりました。」

夏みかんの名の由来

夏みかんの学名はCitrus natudaidai HAYATAといいます。
また、植物分類では ミカン科 ミカン亜科 ミカン属 ナツダイダイといいます。
萩では当初、橙(ダイダイ)又は夏橙(ナツダイダイ)と呼んでいましたが、明治17年夏みかんを大阪方面に出荷するとき大阪の仲買商人から「夏橙」の名称を「夏蜜柑」に変えるようすすめられ、以来商品名として命名された夏蜜柑が普及して、現在では夏みかんの名が定着しました。
その改名の理由は、夏みかんの実を収穫しなければ、前年の実と今年の実が木になることから「夏代々」とも記しており、「代々」は「ヨヨ」とも読め、近畿地方では中風のことを「ヨイヨイ」と称して、夏代々を食べると中風になるといわれ、縁起が悪いので改名したのだそうです。

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