日刊時事エッセー

原爆倒壊前の広島城の屋根装飾品「懸魚(げぎょ)」か、一般住宅保管品の寄贈受ける

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見つかったのは天守でもなく、櫓の屋根を飾ったものようだ。
それでも城の面影をしのばせ、災いのない世への祈りを感じさせる。
さて今、核開発を防ぎ、廃絶するおまじないはないものか。

石垣や天守などが見事であるのは言うまでもない・・・。
安土桃山時代、東国から九州の道すがら広島を通り掛かった武将が、そんな言葉を書状につづっている。
築かれて間もない広島城を仰ぎ見て感嘆したらしい。

三角形の破風屋根を飾る「懸魚(げぎょ)」にも目を留めただろうか。
変わった名前の飾り板は、火伏のおまじない。
水と関わりの深い魚を図案化したものといい、火事を防ぐようにと願って、今でも神社の屋根に付けられる。

おまじないも昭和の戦火には効き目がなかった。
原爆で鯉城(りじょう)は姿を消してしまう。
でも天守閣は火で焼け落ちたのではない。
爆風で低階層の柱がやられ、倒壊したとみられる。
被爆から72年。
城のものと伝わる懸魚が二つ見つかった。

がれきとなっても国宝の城の部材は今なら全て回収するはず。
だが焼け野原である。
困窮した人々が持ち帰る。
住まいに使ったり、燃やして暖をとったり。
ほとんどが失われた中、懸魚と瓦数点を市民が保管していた。

原爆で倒壊した広島城の木の板か 広島市の住宅で保管

NHK4月20日 4時07分

原爆で倒壊し、木材のほぼすべてが失われた、広島城のものと見られる装飾用の木の板が、広島市内の住宅に残されていたことがわかり、城の本来の姿を伝える貴重な資料として注目されています。
発見されたのは、縦35センチ、横40センチほどの、「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる城や寺院の屋根につける飾りの板で、広島市南区の住宅に同じ形のものが2枚保管されていました。

寄贈を受けた広島大学総合博物館が分析したところ、板は「広島城のもの」として瓦とともにこの家に伝えられてきたほか、雨や風で削られ、長い年月使われていたことがわかりました。
広島大学総合博物館は、保管の経緯や板の状態から、広島城の建物を飾っていた可能性が高いとしています。

広島城は安土桃山時代に毛利輝元が築き、昭和6年には当時国内に現存する最古の天守閣が国宝に指定されるなど、広島を象徴する建造物でしたが、昭和20年の原爆ですべての建物が倒壊しました。

博物館によりますと、城の木材は、混乱の中で市民の燃料などとして使われたため、ほぼすべてが失われたと見られ、未確認のものがわずかに保管されている程度だということです。
広島大学総合博物館の佐藤大規さんは「残っていないと思われていたので、驚きだ。広島城の本来の姿を知る貴重な資料だ」と話しています。

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