原爆ぶらぶら病を生涯研究、自らも被爆者肥田舜太郎医師逝去

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福島第一原発事故の発生時には94歳。
ぶらぶら病の発症を心配して、最晩年まで老いた身にむち打って各地で訴え続けた。
「原子力は人間が扱える代物ではない」。
著書に記す。
遺言としてかみしめたい。

体調が悪く苦しいのに人に分かってもらえなければ、誰しもつらい。
心まで病むかもしれない。
被爆者の中にも、だるくて動けない人々がいた。
原爆投下から何年もたち、直接ピカに遭っていない人まで・・・。

「ぶらぶら病」。
誰とはなしにそう呼んだ。
怠け者扱いは悔しかったろう。
苦しみに心寄せたのが医師、肥田舜太郎さん。
自身も広島で被爆したあの日から被爆者の治療や救済に尽くし、おととい100歳で亡くなる。

被爆直後、なすすべなく大勢をみとった。
ぶらぶら病も原因さえ分からない。
ある患者は診察中に頬づえを突き、やがて床に座り、しまいには横になった。
尋常でない「だるさ」と知るが治療法もない。
寄り添うしかなかった。

原爆投下後に入市して吸い込んだほこりによる内部被爆がが原因と知ったのは30年後。
放射性物質が長く体をむしばむのだ。
以来、欧米30カ国以上を行脚して核廃絶を訴えた。
「誰も放射線をコントロールできない」と。


ウイッキペディア引用

原爆ぶらぶら病(げんばくぶらぶらびょう)は原爆症の後障害のひとつ。

体力・抵抗力が弱く、疲れやすい、身体がだるい、などの訴えが続き、人並みに働けないためにまともな職業につけない、病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高いなどの傾向をもつとされる。
広島市への原子爆弾投下後、市民のあいだで名付けられ、医師の肥田舜太郎が被爆患者の臨床経験をもとに研究してきた。肥田によると、当時よく呼ばれていた”ぶらぶら病”の状態-が続き、医師に相談していろいろ検査を受けてもどこも異常がないと診断され、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶をもつ者が少なくないという。

ぶらぶら病についての証言は、広島原爆投下時に宇品港の近くにいた岸本久三の言葉として、「広島でも“ブラブラ病”と言うとったんですか。そういえば語感がぴったりですねえ。私もこの原因不明の病気にやられてから仕事もすっかりやめ、毎日家にごろごろしているんですが、近所の人たちから“なまけ者”と言われているような気がして…」十数年前からの倦怠感、四、五年前からの痛み、吐き気を呈し、「医者も原因不明だというんです。名護の保健所で手に負えず、那覇では胃が悪いといわれて、とうとう開腹手術までやりましたが、結局、胃は異常なし。次は神経科へ回されまして……ノイローゼだろうということなんでしょうが。この痛みはだれにもわかってもらえません。」(一部略)「表面はじょうぶそうに見えるから、かえっていけない。手か足に傷でもあるほうが、世間の人にはよくわかってもらえるのに…」―狭い村のなかで岸本さんの“ブラブラ病”には、かなり気をつかっている様子だ、との記載がある。

また全身倦怠感、易疲労感を中心とした症候群である「慢性放射能症」、「慢性原子爆弾症」(都築正男、「慢性原子爆弾症について」昭和29年2月『日本医事新報』第1556号所収)と一致、または重複する病態に対する、民間における呼称とも考えられる。

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