原爆投下国から広島に来たバーバラさん、「私もヒバクシャ(Hibakusha)」

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森下さんは「核兵器が人間を苦しめ続ける凶器だという事実を広めたい」と交渉を見守る。

国家のエゴが阻もうとも非人道性を伝え続けることで道が切り開ければいい。

「一九四五年八月六日は書けても、その以後が書けない」。

86歳の森下弘さんが広島で被爆して約30年後に刊行した詩集につづっている。

肉体的苦痛に加え、「不安の影」を引きずり続ける胸の内を率直に明かす.

森下さんは64年に世界平和巡礼に参加し、体験を語ることに希望を見いだした。

核兵器保有国を巡り、原爆が人間にもたらす痛みを訴えた。

その背中を押したのが、巡礼を提唱した故バーバラ・レイノルズさんだった。

私もヒバクシャです―。

原爆投下国から広島に来たバーバラさんがよく語っていた言葉である。

先日まとまった核兵器禁止条約の草案を見て思い出した。

前文には「核兵器使用の犠牲となった人々(Hibakusha)の苦しみに留意する」とある。

条約交渉の先行きは見通せない。

核保有国が参加を拒み、被爆国日本もなぜか歩調を合わせる。

そのため実効性を疑問視する声も聞かれる。

でもそれは、核兵器をパワーゲームの道具としてしか見ていないからだろう。

バーバラ・レイノルズ氏記念碑

建立年月日:2011(平成23)年6月12日(除幕)

建立者:特定非営利活動法人ワールド・フレンドシップ・センター

形状:高さ約1.3m、幅約1m、厚さ約0.4mの黒御影石製の台座に、約0.8m四方の陶製の銘板がはまっている。

建立の目的:被爆後60年以上が経過し被爆体験の風化が懸念される中、「私の心はいつもヒロシマとともにある」という信念のもと、ヒロシマの世界化に尽力したバーバラ・レイノルズ氏の功績を顕彰するとともに、広島市民及び修学旅行生をはじめとする国内外の来広者に彼女の核廃絶への願いを継承することを目的とする。

碑文(英文併記)

私もまた被爆者です

I, too, am a Hibakusha

私の心は いつも ヒバクシャ ヒロシマ とともにあります

Hibakusha-they are the inspiration for all my peace effort My heart is always with Hiroshima

バーバラ・レイノルズ Barbara Reynolds (1915-1990)

広島市特別名誉市民 Special Honorary Citizen of Hiroshima

ワールド・フレンドシップ・センター創立者  Founder of World Friendship Center,Hiroshima

特記事項

バーバラ・レイノルズ(Barbara Reynolds)1915?1990

アメリカの平和運動家。1951年(昭和26年)に当時、原爆傷害調査委員会(現、放射線影響研究所)研究員だった夫とともに広島を訪れ、原爆被害の悲惨さを知った。1958年に、太平洋エニウェトク環礁の立ち入り禁止海域にヨットで乗り入れ、米国の水爆実験に抗議した。1962年から「ヒロシマ平和巡礼」、1964年には「広島・長崎世界平和巡礼」を実施。被爆者や学者等と共に世界各国を平和行脚した。

1965年に、南観音に「ヒロシマの世界への窓口」として、“ワールド・フレンドシップ・センター”を創設。 日本及び世界各国で平和運動に尽力した功績により、 1975年10月15日に広島市の特別名誉市民に推挙された。

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