日韓友好の痕跡をユネスコ世界遺産登録申請、朝鮮通信使の訪日真意

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異なる文化や伝統の理解は「われわれの人生を一層豊かなものにする」とも重家さんは記す。
朝鮮通信使が再び親善の懸け橋になるかもしれない。
関連資料をユネスコの世界遺産に登録するよう、日韓は共同提案している。
年内にも決まる可否をまとう。

10年前、1人の外交官が呉市の下蒲刈島を訪れた。
駐韓大使の就任を間近に控えた東広島出身の重家俊範さんだ。
韓国との関係に思いを巡らすうち、知人に勧められる。
江戸時代の朝鮮通信使の歴史に触れたらどうか、と。

通信使は江戸への道すがら瀬戸内の島や港に立ち寄った。
地元の歓待も受け、広島藩には豪勢な料理を振る舞われた。
「互いの文化を尊重し、学ぼうとする良い時代の交流だった」と重家さんは大使館のサイトにつづった。

そんないい時代もあったのに、今は慰安婦少女像の扱いを巡って関係は冷え込んでいる。
きのう日本政府は抗議の意も込めた大使一時帰国を3か月ぶりに解いた。
韓国側はどう出るだろう。

現地の世論は像の撤去には厳しく、来月の大統領選の行方も影響してくる。
日本政府もボールを投げ返しただけに終わらず、これまでの経緯を学んだ上で、尊重する努力が求められる。

朝鮮通信使とは、江戸時代、将軍の代がわりや慶事などの時に、朝鮮王朝の外交使節団が、朝鮮国王からの国書を持って来日したり、将軍の返書を持ち帰ったりした使節団のことをいう。

起源は室町時代にさかのぼるが、慶長12年(1607年)以降1811年までの約200年間に、12回にわたって、朝鮮から、学者、文人、医師などを含む300~500人規模の使節団が日本を訪れ日本文化に影響を与えた。

朝鮮の漢陽(現在のソウル)を出発し、江戸(現在の東京)までの2000km弱(往復の経路は異なり約3000km)に及ぶ大変な長旅であると共に日韓が交流する「文化の道」でもあった。海上では、日本側から迎える船などで大船団となり、陸上では日本側の警護などの人数を合わせると2000人にもなる大行列となった。

当時、日本で朝鮮通信使の行列を目見物できることは、一生に1度か2度しか経験できないものであったため、街道にはたいへんな見物客が押し寄せたと言われている。

朝鮮通信使は、平和と友好親善の象徴であり、当時の外交文書や日本の「対馬宗家文書」などの関連資料については、2017年の世界記憶遺産への日韓共同登録、それに、朝鮮通信史関連史跡の世界遺産、「朝鮮通信使祭り」や「朝鮮通信使行列」など関連イベントの世界無形文化遺産への登録も期待されている。

関係市町村

下関市、 対馬市、長浜市、近江八幡市 、壱岐市、静岡市、 瀬戸内市、

呉市、福山市、上関町、京都市、日光市 、 名古屋市

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