実力派歌手ペギー葉山さん、数々の名曲を残し惜しまれて逝く

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私の年代はトランプ米大統領の言動を見てると、ついヒットラーを思い出す・・・。
2週間前までつづったブログには、そんな心配ものぞかせた。
ペギー葉山さんの歌と平和への願いを歌いつなごう。

「おじいちゃーん」。
72年前の夏、福島にいた少女が広島に向かって、泣きながら叫んだ。
父の故郷に疎開していたら、その祖父と一緒に被爆死していただろう。
後に「ドレミの歌」を歌う、ペギー葉山さんである。
残念ながら訃報が届いた。

祖父は仏壇の前に座り、手を合わせた姿で焼かれた・・・。
伝え聞いた最期を、ブログに何度も記して悼んでいる。
先祖は広島藩の重臣を務めたともいう。
華やかな世界に生きた人だが終生、広島との深い縁を大事にした。

高校時代に進駐軍のキャンプで歌い始める。
高い歌唱力でデビュー2年後には紅白に出場した。
米国でも評価されたという。
「サウンド・オブ・ミュージック」のドレミの歌は、自ら訳したもの。
幅広い世代に親しまれた。

朗らかな雰囲気の歌声で戦後日本を彩る。
それでも祖父や被爆地への思いを胸から離さなかった。
「学生時代」が大ヒットしてスターとなりながら翌年、被爆20年の節目には「ああ広島」をレコードに吹き込んでいる。

2017/04/12

「ドレミの歌」や「学生時代」などのヒット曲で知られ、女性として初めて日本歌手協会の会長も務めた歌手のペギー葉山さんが12日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。83歳でした。
ペギー葉山さんは東京都出身で、昭和27年にレコードデビューしました。昭和33年には、NHK高知放送局の依頼で歌った「南国土佐を後にして」が、ふるさとを離れて働く人たちの望郷の歌として大ヒットしました。

その後も「ドレミの歌」や「ラ・ノビア」、「学生時代」など幅広いジャンルのヒット曲で人気を集め、昭和41年のNHK紅白歌合戦では紅組の司会を務めました。

また平成17年に亡くなった俳優の根上淳さんと仲のよいおしどり夫婦として知られ、根上さんの闘病生活を支えてきました。
その後も平成19年に、女性として初めて日本歌手協会の会長に就任するなど第一線で活躍し、おととし3月、放送文化賞を受賞しています。

所属するレコード会社によりますと、ペギー葉山さんは最近まで活動を続けていましたが、10日に東京都内の病院に入院し、12日昼前、肺炎のため亡くなったということです。

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