断水の尾道に、人情の井戸端がよみがえる

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広島県尾道市には、古い町並みに井戸がたくさん残っている。 歴史の景観として絵になっていた、役目を失った手漕ぎポンプがいま復活しています。

井戸水の提供にご協力を―。

自治体や町内会ごとに、身近にある汲み上げ式井戸や地下水の開放を、所有者に働きかけている。

今回の豪雨で公共水道が使えなくなって、給水カー頼みの不便な生活を強いられる中、こうした呼び掛けが続いている。

お寺や民家の庭、路地裏…。

忘れられたようにたたずんでいた手押しポンプや、つるべに再び光が当たっている。中には江戸時代のものも、明治大正昭和時代を含めれば相当の数があることに気付いたのだ。

「ご自由にお使いください」「飲めませんが、トイレに使えます」。

断水になって一番不自由なのが水、中でもトイレ1回流すのにバケツ半分いるのには泣かされる。所有者の申し出に、困り果てていた市民がタンクを持って駆け込んでくる。

何十年ぶりに日の目を見た井戸の周りに活気が戻る、水を分ける人、いただいて助けられる人。井戸端では感謝の言葉のやりとり、無事を確かめ合うコミュニケーションも生まれることだろう。

日頃疎遠であったご近所同士のつながりを、あらためて心強く感じた人もいるのではないか。水を求めて訪れた人が得るのは、ただの水だけではないはず、きっと心も潤す水になるだろう。

「井戸端会議」という言葉が使われだしたのは、江戸時代までさかのぼるだという。時代劇映画でおなじみの、長屋にあった共同の井戸での世間話の様子から生まれたそうだ。たわいない話し合いだが、たがいの安否を確かめ合いながら、いざというときは助け合いを育む。

時代が変わっても同じ、困れば互いが助け合う文化はよみがえる。被災地の避難所や給水所も、かつての井戸端のような場に変わりつつある。人は苦しさを共有したら、心を開き優しくなれる生き物だからなのか。

「お互い大変ですね」「気を付けて」。

ちょっとした言葉のやりとりが、心に少しの安らぎと明日に向かう力をくれるのだから。

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