元横綱佐田の山逝く、豪胆で筋を通す一途な人生をまっとうする

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賜杯を6回授かり「柏鵬(柏戸と大鵬)」に割って入る気迫の力士だった。
引退後の仕事のためには、引き際が大切だと優勝の翌場所に腹を決めた。
郷里でも捕鯨の先人たちとともに、長く語り継がれよう。

長崎県の五島では櫓を押し、網を掛けることに秀でた漁師が腕を買われた。
多くはイワシ漁が盛んな瀬戸内海から稼ぎにきて、泳ぐ鯨を網で御したと伝わる。
きのう訃報を聞いた元横綱佐田の山の郷里は五島列島の捕鯨の町だった。

いなせな男たちが息巻く土地柄だったか。
元横綱の父親は船大工。
良い仕事のためなら一人で徹夜した。
息子も砂利道を自転車で山越えして高校に通い、バスには一度も乗らなかった逸話を残す。
小学校の副読本に載る努力の人である。

そんな人にも「核実験に〝物言い〟」の新聞見出しが付いたことがある。
協会理事長として大相撲パリ公演を率いていて、時のシラク大統領に「誠に遺憾」と物申した。

真意は知る由もないが、焦土の長崎がよぎったのだろうか。
私たちは抗議集団ではない・・・と念を押し、それ以上物議を醸すことはなかったようだ。
筋を通すそんな人柄が、角界に改革の新風を送ろうとした後半生から分かる。


スポーツ報知

大相撲の第50代横綱・佐田の山で、日本相撲協会理事長も務めた市川晋松さんが4月27日に肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが1日、同協会を通じて発表された。79歳だった。

市川氏は長崎県南松浦郡新上五島町(旧有川町)出身。1956年初場所で初土俵。前頭13枚目だった61年夏場所、12勝3敗で初優勝し、3回目の優勝を果たした65年初場所後に横綱に昇進。平幕優勝力士は横綱になれないと言うジンクスを打ち破った。

68年春場所中に現役を引退すると出羽海を襲名。名門部屋を継承した。92年2月から相撲協会の理事長に就任。98年1月まで協会の運営にあたり、2003年2月に同協会を定年退職した。スポーツ報知評論家、報知年間最優秀力士賞の選考委員を務めた。

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