日刊時事エッセー

瀬戸はしぐれて、夕波小波・・・、おだやかに悠久の時が続きますように

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ミカン船の老船長は無理して潮にあらがうことがない。
船脚は遅くても、荷は確実に届けてきた。
紙の新聞も電子の速さにはかなわぬが、人生の節目で役に立つことがある。

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「潮がこっちへ向かいよるのがわかろうが」と老船長が指さす。
10年余り前、愛媛県の忽那(くつな)諸島を巡るミカン船に乗せてもらったことがある。
イヨカンを満載した、これまた年代物の木造船は一向に速度を上げる気配がない。

周りの島々の間には、潮流が速く深い水底の水道がある。
よき漁場であって大型船の航路にもなる。
軍艦が白波蹴立てた時代には、老船長も旧海軍を志願したことがあるが、戦後は平和な海をなりわいの場にしてきた。

島々の一つ、怒和(ぬわ)島では「十八の瞳」が水道を通る船を数えながら波止で給食の時間を過ごすという。
地方紙連載の「島彩々」への感想が「HAPPY NEWS」大賞に選ばれていた。
読んだ読者が、幸せな気持ちになったとのお褒めの評価からであった。

投稿された広島市の財満純子さんは「大きな写真から笑い声が聞こえてきそうだ」と評しておられた。
9人の小学生も、いずれは中学生になり島を出る。
寂しいけれど、優しい大人、そして風と潮の記憶は心に刻まれよう。



愛媛県HPから

怒和島(ぬわじま)とは

忽那諸島西部に位置する島で、以前は島の北側の宮ノ浦という地区に集落がありましたが、現在は東岸に上怒和、西岸に元怒和の二つの集落があります。
アメリカに農業実習生を送りこむなど、農業後継者が多い島です。柑橘栽培が盛んでレモンの島として知られていますが、近年玉ネギも多く栽培されています。
島民のほとんどの人が漁業権を持ち、農業と漁業を両立する働き者の島と言われています。近くの小島クダコ島近海は瀬戸内海屈指の漁場として有名で、鯛の一本釣りなどが盛んに行われています。
民俗芸能が多く、かつては秋祭りでは獅子舞・相撲甚句・神楽・奴道中などが行われていましたが、現在は担ぎ手がいないため行われなくなっています。

怒和島の見どころ

丸子鼻(まるこばな)

上怒和港にある独特な形に突き出た半島状の小山です。その昔、旧暦の大晦日の夜に西国の大名を乗せた船が暴風に遭い、丸子鼻沖合で沈没しました。
その船に乗っていた丸子姫と言う美しい姫も、未練を残したまま船共々海の藻屑となったそうです。それ以来、丸子姫の祟りのためか旧暦の大晦日の夜12時頃になると、丸子鼻の海上に怪しい火が灯るようになった、と言う悲しい伝説があります。

延福寺

元怒和地区にある神秘的な雰囲気のあるお寺。裏山にかつて生き木地蔵が刻まれた樟があります。昔、延福寺に泊めてもらった僧侶がお礼にと生き木に地蔵尊を彫ったと言われています。
現在は樹の成長と風化のためその面影を見ることはできませんが、病気快癒祈願の参拝者が現在も訪れるそうです。

策道(ケーブル)

農道が整備されるより以前、道なき山々からみかんを運び出すために作られたロープウェイです。かつては忽那諸島内各地で使われていましたが、農道が整備された現在は怒和島の一部でしかその姿を見ることは出来ません。

クダコ島

中島と怒和島の間に浮かぶ周囲1.8キロメートルの無人島。クダコとは、中世の頃この島を拠点にしていた水軍の呼び名で、鎌倉時代から戦国時代にかけて水軍として栄えた忽那家の文書には「久田子衆」や「九多児衆」と記されています。
近海はクダコ水道と呼ばれ日本でも有数の漁場と言われていて、多くの釣り人が訪れています。明治36年に建設された灯台が現在も漁場を照らしています。

若宮八幡宮

怒和島の総鎮守。美しい宮浦の海岸線に鳥居が設けられ、瀬戸内の海を見守っています。境内には7つの小さな祠があり、参拝者はその一つ一つにお賽銭を投げてお参りをします。秋の祭礼にはおみどり神事やお神輿が盛大に行われます。

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